寸言

自分

 自分は、一体どこから来て、何者なんだろう、そんな疑問を持ったことはないだろうか、これから自分は何を目指して進めばよいのだろうか。若い世代には、常に、こんな疑問を自分に投げかけながら、なにものかに、日々を翻弄されながら生きている人が意外に多いのではないだろうか。最初から目的観をしっかりと定め目標達成のために全ての人生の軌道を確かな方向性で進んでいる人など数える程度かもしれません。
 君は一体何を話したいのか、と問われれば、何日も前の話になるのかも知れないが、こんな記事を読んだことがある、自分の力は、自分で測れない、どうしても過小評価しがちだし、どうしても小さく見積もりがちだから、苦労の壁にぶつかると人は、その手前に限界線を引いてしまう。壁を突破するには、力強く背中を押してくれる人が必要だ、と云うのである。
 当にその通りであるとおもいます、でも、過小評価して当たり前だとも思う、これが、過大評価でもしようものなら、周りのものに、自惚れるのもいい加減にしろ、と云われるかもしれない。結局のところ、自分を評価してくれるのは、周りの他人であり、背中を押してくれるのも周りの他人である、職業の問題にしろ、恋愛、結婚の成立にいたるまで、すべては他人による評価の価値の如何によるのではないだろうか。反面、この正義の信念だけは貫かねばならないという側面があることも否めない。
 このような、記事に関連して小説の一場面を思い出す、自分の師匠に、こんなことを言われた、「今度、君には理事をやってもらいたいと考えている、いいだろう。男は面食らって、いいえ、先生私は未だ日も浅く教学もありませんので理事なんて、とてもできません。とお断りしたところ、先生は、ほーー、君は自分の力が分かるのかね、たいしたもんだ!!」と云われた、事を思い出す、やがて、先生の言われたとおり、男は理事にもなり、立派に力をつけ、堂々たる人生を満喫するのである。自分の評価はなかなか自分ではできないものである。

09年5月17日

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夫婦

 一昨日の新聞に妻が夫を介護する記事が載っていたが、その一部を紹介したい。5年前に厚労省の特定疾患「シャイ・ドレーガー症候群」を発祥したという内容である、全身の筋肉が少しずつ衰弱して、最後には体の筋肉が殆ど動かなくなる珍しい病気である。現在は脳は正常に働くものの、体や声の自由がきかない、食事は直接チューブで胃に入れる。まばたきと、わずかに動く手で押すブザーで意思を交わす。病院と連携を取り24時間体制で自宅介護している、と言うお話である。チュウーブでつながれた夫の姿を前に言い表せない苦悶の日々が続いたことだろう。心が何度も折れそうになったにちがいない。それでも彼女は夫の回復を祈り続ける。
 やがて、「主人が生きていることが、うれしい。いるだけでいい」と思えるように。今の境遇に感謝の心がわいてきた。人の幸せは、決して環境では決まらない。「本当の愛情は、風波が起これば起こるほど、困難があればあるほど磨かれ、深まっていくものである」と。
 何という、苦難と戦う夫婦の愛情物語であろうか、しかも本当の現実に起こっている事である、思わず落涙してしまった。夫婦は、かくあるべきものと思う。昨今の新聞、テレビニュース報道は、夫の介護に疲れた妻が夫を殺害してしまった記事、また、その、逆の記事であるとか、一寸した人生の失敗が、すぐ離婚になってしまう。何という、浅ましいことであろうか。何のための人生か、何のための結婚か、人生の敗北者にだけはなるな。
 長い、夫婦の人生航路には様々な困難が立ちはだかって来るのは当然のことであろう。しかし、一つ一つ、それを乗り越える事は更に夫婦としての絆が深まっていくことであろうと思う、人生は何のためにあるのか、人は何のために生まれて来るのであろうか、現証論で言えば、夫婦の営みが有れば子はうまれるというのは間違いないが、もっと、本源的な捉え方をしなければならないし、我々の生命は永遠であることに軸を据えて思うならば、わが師匠曰(いわ)く、人は此の世に生まれてくる目的は、楽しむためである、何をやっても楽しい、ご飯を食べても、仕事をしても、映画を見ても、学校に行っても楽しい、働いて汗を流しても楽しいというのでなければならない、と言う意味のことを言っている、しかし、一寸、塩の部分もなければ本当の楽しみはないとも言っている、さて、では、塩の部分とは、と言えば、それは様々に、人生航路の途中において苦労することであり、苦悩である。苦労がなくて本当の楽しさを味わうことはできない。さすれば、それも意味のあることである。うんと苦労しようではないか、それだけ、楽しみが倍増することであり、自分が磨かれることなのである。
 人生の時々を無駄に過ごすことは最大の損失である。。。そして、感謝と報恩の勇気ある言動で最大に価値ある人生を祈りつつ。。。

09年3月28日

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低気圧

 国民不在の政治が続いている、哀れな指導者に率いられる国民は更に哀れである、大指導者の出現が今こそ期待されている時はない。
 100年に一度と言われた、アメリカのサブプライムローンに端を発した世界的大不況には日本政府は何の対策も見出せないまま突入してしまった。結果は予想を遥かに超えた混乱を招き国民の怒りは頂点に達したと言えよう。
 日本政府は景気対策を盛り込んだ第2次補正予算も、定額給付金をはずせ、はずさない等で野党との駆け引きが続いている、全く情けない、民主党を含む野党は国民の大半は定額給付金に無駄だと反発していると言うが果たして本当だろうかマスコミが聞取り調査を行って得た回答だというが殆どの国民は何の調査も受けていないし声を出してはおりません。
 与党も野党もどっちを向いて政治を行っているのかと問いたい、国民のため、なんて格好は一人前だが実際にやっていることは国民そっちのけの駆け引きばかりではないか、政治家なんて、とても言えたものではない、今は知恵比べをやっている時ではない、一丸となって国民の生活を守らなければならない時なのだ、彼らは国民を馬鹿にし、なめているのではないか、彼らこそ傲慢であり虚飾にまみれた手に負えない悪人どもであると云わなければならない、しかし、皆がみな悪いと言うのではない、善人も確かに居ることは間違いない、政治家は高額な歳費を受け取っている、国民のために一生懸命働かなければならない使命が彼らにはあるのだ、政治家とは国民の僕(しもべ)でなけれならないと私は思っている。
 かの有名なアメリカの大統領は、「人民の人民による人民のための政治」とはあまりにも有名な名言である、かくして、政治家はすべからく、かくありたいものだ。
 島国日本は今当に低気圧の真っ只中である、経済不況はその極に達し、企業倒産の続出、失業者続出、物価の高騰、等々数え上げればきりが無い、日本列島は暗雲低く垂れ込め青空が全く見えないのが今の状況である、高気圧に覆われ晴天の太陽の光が降り注ぐ日は一体何時になるのか待ち遠しい。

 09年2月15日

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プロスポーツ選手

 プロ野球界でも、プロゴルフ界しても年少者のプレーヤーが目立っている。
15歳17歳と言えば人間形成にとって一番大事な年齢だ、世界の偉人も、その生い立ちを見ると家庭的にも経済的にも社会的にも一番恵まれない環境のなかから、苦労に苦労を重ね本物の1級の人間として歴史にその名を留めている。
一億円のプレーヤーであるとか、年俸七千万円であるとか、八千万円であるとか、マスコミや報道機関は盛んに騒ぎ立て、金、金、金と人生総て金であるかのような錯覚に陥れている。何んという浅ましい姿であろうか、確かにお金は生活にとって大切なものであるには違いは無い、金銭で総てを満足させる事ができるのであればそれでよいのかもしれない、しかし、金銭で解決できないような不幸が多いのも人生である、先々に何が待っているかは分からないものである。その時に、何があっても負けない強靭な人間形成が先ではないだろうか、如何して自分を鍛え上げるか、人間を磨くか、むしろ、そちらの方が先ではないだろうか。
贅沢や見栄やお金に心を奪われる前に、青年は、先ず人間として一級の人格を目指すべきであると私は思わずにはいられない。私は過去に次のように言われたことがある、青年は貯金をして貯めようなどとは考えない方がよい、お金を貯めるのは30歳を過ぎてからでも遅くはない、先ずは人間として成長することだ。青年は、酒と女と金には充分気をつけろ、これは男性諸君に対する言葉で、女性に対しては、この反対と思えばよいのではないだろうか。しかし、そうは云ってもなかなか貯まらないのがお金である。いずれにせよ、今日の社会は全体が歪んだ人間社会である、そのような社会に匹敵するような事件も多い世の中である、先ずは1人でも多くの青年が、社会を大切に、人間を大切に、隣人を大切にできる自分に成長することである。
青年よいずこへ行かんとするのかsign01、青年を思う一考察としたい。

平成20年12月21日

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