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2009年7月

政治家と政治屋

 東京都都議選が7月3日に告示され、12日の投票日を目前に各党の乱戦が続いている、国政の選挙である衆院選の前哨戦として位置づけ、政治家と政治屋の見分けもつかないまま国民は、その時々の演説を聞き、何となく正しいと思うので---、何となく常識的だから---等々、曖昧な判断のまま、時々の雰囲気により、投票所に向かってしまうのが大方ではないだろうか、問題だらけの今の政治の状況では、体制を変えれば---何となく良い方向へ変わるのではないだろうか、妥当性や実効性を検証するでもなく、「何となく」という気分に流される事ほど危険なことはない。それでも、大方の人は、党よりも人物による判断が多少多くなってきているようだ。
 「政治は人なり」よき政治は良き政治家によって実現可能になる、良き政治家の条件とは、一言で言えば、国家、国民のために命懸けで働く大誠実の人でなければならない、口では、国のため、国民のため、と言いながら、自己の保身や私利私欲を追い求め、権謀術数の抗争に身をやつす議員のなんと多いことか、某政党の某代表などは、西松建設より多額の違法献金が発覚、裁判に持ちこもれても猶、釈明も出来ず、検察権力を誹謗中傷してはばからない、どうやら、裏には、議員の権力を行使して大型公共事業を独占させ、裏金の手段としていたことが明らかになった、にも関わらず、何の説明責任も果たさず、代表を辞任してしまった、すったもんだの末、次期代表が決定されたのだが、今度は身が潔白のはずの新代表に、きわめて、大掛かりな偽装献金が発覚した、献金の処理方法は個人献金として処理されているようだが、8割方嘘で固めてあるようだ、新聞の発表では、調べれば、調べる程、益々疑惑が深まっていくようだ、しかし、今だに、調査を繰り返すばかり、何の説明責任も果たしていないまま、他党の批判に明け暮れている現状だ、こんな人を我々は政治家とは云わない、政治屋と言うのだ、ろくな政策も出さず、国民の不安や不満につけ込んで、政権交代、政権交代と連発し、あまり政治に詳しくない国民は“一遍やらせて見たら”という気分をあおる、素直に解釈すると、これは、国民に対する冒涜であると言わざるを得ないし、国民に対する裏切り行為であると云わざるをえません。
 政治家と政治屋の違いは当に、ここにあると云わざるをえないのです。どこの党が一番真剣で、誰が国民の苦しみに同苦し、誰が一番国民のために働いているか、ここをしっかりと見極めて、そして、どこの党が一番、国民のために汗をかいているか、を見極めて貴重な一票を投じようではないか。もう、そろそろ、騙されるのを克服しようではないか、政治は国民のためにあるのだということを、改めて認識しようではないか。

09年7月5日

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人間の愚行を思う

 テレビの電源を入れると今は、東京都議選に各党がしのぎを削って戦っている様子が大々的に報道されている。東京都議選は当に衆院選の前哨戦と捕らえ、民主党を中心とする野党が勝つのか、自民党を中心とする与党が過半数を獲得するのかを占う選挙として各党の党首が東京へ集中している。
 衆院選も都議会議員選挙の終了直後の解散か、あるいわ任期満了まで引き伸ばすのかを巡って、各党の駆引きが続いている。今、国会は様々な法案を抱え、これを解決しないで次へは進めない状況になっている、北朝鮮問題、公務員改革問題、年金問題、政治献金問題、100年に一度と云われた、不況対策は国内問題としては最大のものであろう。
 しかし、考えてみたまえ、政治家は誰のために存在するのか、党利党略のためでは決してない、国のためでは決してない、じゃあ、誰のためと問われれば、詮ずる所、国民のためではないか、国民の平和と幸福のために議員は存在するのである、人の批判をしている時ではない、党派を超えて一致団結して国民のために働いてもらいたい、お金の管理をしてもらいたい、議員は、権力を盾に国民を家来のように扱い、権力を利用して悪事を働き金儲けに奔走する、こんな事があって良いわけはない、国民を選挙の票ぐらいにしか見ていない議員が余りにも多すぎるのではないか、このような悪徳議員は、国民の智慧と努力によって、一掃しようではないか、そのための選挙である、一票の行使は国民に等しく与えられた権利であり、義務でもあります、最大限に生かそうではありませんか。
 しかし、よく考えると不思議なものであります、人間とはどうして様々な愚行を繰り返すのか全く進歩していないと、つくづく考えさせられます、大抵の場合は国に独裁者が誕生し、私利私欲は当たり前、自国が世界で優位に立とうと核開発に専念し、ひいては、そのために国民を犠牲にしてはばからない、それと言えども、詮ずるところは、一人の人間の生命に内在する問題である、目を転じて、一歩、高いところから、それらを覗いてみたまえ、我々、地球人がすむ地球も銀河系宇宙から見れば、ほんの端っこの端っこの片隅に地球はあると考えてよいと思う、我が地球が存在する銀河系宇宙の大きさは、科学者の曰く、縦に十万年光年、横に三十万年光年の広さがあるという、十万年光年とは、光のスピードで、十万年かかって光が届く距離である、宇宙は無限大であると考えてよい、この、大宇宙には、このような銀河系宇宙が無数に存在すると言うのが本当である、その、片隅にある地球に住む人類が、互いに、いがみ合い、果ては核兵器をもって戦争を繰り返し、罵り合いながら、自らの生命の探求もしない、愚行といえば、此れほどの愚行はないではないか、他人を信頼できないのである、チンパンジーの世界よりも劣るのではないか。
 わたしは、議員は皆、歌人であり、詩人であれば良いと思っている、まして、一国の指導者たるもの、尚更、詩人であるべきと思うがどうであろうか、歌人や、詩人に悪人は居ない、詩人は、我が生命に宇宙をもっている、自然界に対する、鋭い洞察力をもっている、自然界に対する慈しみをもっている、これらは、国民を率いる立場として欠かすことの出来ない思考であると思う、返して云えば、政治に欠けてはならないもの、それは、慈悲である、西洋的志向で言えば、それは、愛であると言うかもしれないが、慈悲と愛とは大きな相違点があります、慈悲を解釈すると、それは、抜苦与楽(ばっくよらく)となります、国民の苦しみに同苦し、国民の苦しみを取除き、楽しみを与えるのが抜苦与楽の意味であります、日本の議員諸君よ、愚行はもう止めようではないか。

09年7月4日

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