見識と度量
物事を評価するという事は、相応の見識と度胸が必要なものである。私は以前に定額給付金について書いたことがある。政府が景気対策の一環として定額給付金の政策を打出し、野党の反対を押し切って衆議院を通過させた経緯がある、その時は民主党などは定額給付金は天下の愚策であり、バラマキである、とあらゆるマスコミに登場し訴えたものである、テレビ、ラジオなどあらゆるマスコミも、これを取上げ国民の70%は反対であり、バラマキであり、実際に支給されたとしても、地元において使うまでには至らない、貯金のほうに回ってしまう、等々、100年に一度と言われた世界的大不況がじわじわと国民生活を圧迫し始めた時であり、全国に失業者が続出してきた状況下で、野党はむしろ失業者の救済対策に使うべきである、等々一転して方向転換をして言い出し、定額給付金は野党とマスコミのもてあそぶ材料になってしまった、あげくには、自治体では支給する段取り等で大混乱を来たすであろうし、これは、とんでもないことである。すぐにも止めるべきであると、口汚くののしったものだ。ところがどうであろう、いざ、支給が決定され、各自治体でも支給に対する取組みが始まってみると、各商店会等が積極的に動き出し、わが市町村で消費してもらおうと、様々なプレミアムを付け争奪合戦を繰り広げている。
定額給付金は、愚策であり、ナンセンスだと思っているのはメディアと野党だけで、当初、国民の大多数の人は本音では喜んでいたのである「評価する」が61%にものぼったのはその現れである。(日本経済新聞調査)、多くの経済学者も、その経済効果を認めていたが、一部のマスコミは冷静な分析はそっちのけで、反対を繰り返した、多くの国民は本音は理解もし自分も、給付金の恩恵にあやかりたいと思っていたのであろうが、一斉に反対の狼煙をあげる、マスコミ各社の声に乗せられ、そちらの方に乗り移ってしまった。
この種のことは、人間の心理学的な問題で一般に社会の大半が、そしてマスメディアが揃って反対のなかで、正論を展開、反撃することの、如何に難しいことであるか、如何に度胸が必要なことであるか、正論を述べることにより社会的に孤立しかねない恐怖心から、国民は沈黙してしまう傾向にあると理解する。ある意味で、政治は技術であり、簡単なことではない。
このように考えていくと、かつて、ドイツのヒトラーなどはユダヤ人を否定し続け、アウシュビッツにおいてユダヤ人を大量虐殺した歴史を思い出す、世論はヒトラーを信奉せざるを得ない状況下で、どんなに正論を持っていたとしても、叫び抜くことの勇気、度胸は並大抵のことではない。スケールの大きさは全く異なるが、真理的に基本は似ているのではないか。
09年4月26日
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