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2009年4月

見識と度量

 物事を評価するという事は、相応の見識と度胸が必要なものである。私は以前に定額給付金について書いたことがある。政府が景気対策の一環として定額給付金の政策を打出し、野党の反対を押し切って衆議院を通過させた経緯がある、その時は民主党などは定額給付金は天下の愚策であり、バラマキである、とあらゆるマスコミに登場し訴えたものである、テレビ、ラジオなどあらゆるマスコミも、これを取上げ国民の70%は反対であり、バラマキであり、実際に支給されたとしても、地元において使うまでには至らない、貯金のほうに回ってしまう、等々、100年に一度と言われた世界的大不況がじわじわと国民生活を圧迫し始めた時であり、全国に失業者が続出してきた状況下で、野党はむしろ失業者の救済対策に使うべきである、等々一転して方向転換をして言い出し、定額給付金は野党とマスコミのもてあそぶ材料になってしまった、あげくには、自治体では支給する段取り等で大混乱を来たすであろうし、これは、とんでもないことである。すぐにも止めるべきであると、口汚くののしったものだ。ところがどうであろう、いざ、支給が決定され、各自治体でも支給に対する取組みが始まってみると、各商店会等が積極的に動き出し、わが市町村で消費してもらおうと、様々なプレミアムを付け争奪合戦を繰り広げている。
 定額給付金は、愚策であり、ナンセンスだと思っているのはメディアと野党だけで、当初、国民の大多数の人は本音では喜んでいたのである「評価する」が61%にものぼったのはその現れである。(日本経済新聞調査)、多くの経済学者も、その経済効果を認めていたが、一部のマスコミは冷静な分析はそっちのけで、反対を繰り返した、多くの国民は本音は理解もし自分も、給付金の恩恵にあやかりたいと思っていたのであろうが、一斉に反対の狼煙をあげる、マスコミ各社の声に乗せられ、そちらの方に乗り移ってしまった。
 この種のことは、人間の心理学的な問題で一般に社会の大半が、そしてマスメディアが揃って反対のなかで、正論を展開、反撃することの、如何に難しいことであるか、如何に度胸が必要なことであるか、正論を述べることにより社会的に孤立しかねない恐怖心から、国民は沈黙してしまう傾向にあると理解する。ある意味で、政治は技術であり、簡単なことではない。
 このように考えていくと、かつて、ドイツのヒトラーなどはユダヤ人を否定し続け、アウシュビッツにおいてユダヤ人を大量虐殺した歴史を思い出す、世論はヒトラーを信奉せざるを得ない状況下で、どんなに正論を持っていたとしても、叫び抜くことの勇気、度胸は並大抵のことではない。スケールの大きさは全く異なるが、真理的に基本は似ているのではないか。

09年4月26日

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衆院選

 100年に一度と云われる、大不況のなかで今、各党は衆議院議員の総選挙のタイミングを計っている、不況対策として政府は15兆円も20兆円ものお金を投入して景気対策に当てようとしている、原資の一部は埋蔵金なるものと赤字国債を発行しての対応になるようだ。
 しかし、その政府案に反対し補正予算の審議を徹底審議といって選挙の駆け引きの道具としているのが野党第一党の民主党だ、しかし、どうも野党の言うことはどれも具体性に乏しく、すっきりしない。野党第一党の民主党、小沢党首の西松建設がらみの政治献金の問題がくすぶりトーンが下がっているのも事実である。
 いま、政治は本当に、この大不況にあえいでいる国民ひとりひとりの事を考えているのだろうか、本当に国民のことを考えるならば、党利党略なんて考える事自体、全くの愚作である。今の経済状態を考えるに、市場主義の完全な行き詰まりであるといっても過言ではあるまい、この状況では国中に溢れている失業者をどのように吸収できるというのか、少々のお金を与え、優遇策をとったとしても、そう簡単に企業は動くことはないと思うし、余程先行きの見通しが明るくならない内は企業の門は硬く閉じたままであろう。
 長年にわたる人間の強欲のままに暴走する市場主義の結末が今日の大不況を招いた大きな原因であると共に政治家にあっても真に国民第一主義の政治家が一体何人いることか、いま、政治家の世襲制に異論をとなえる声が聞こえてくる、現に彼らは恵まれた環境に育ちやすやすと大学の門をくぐり、秘書生活の後に政治家として国民の代表を唱えるが、国民生活の底辺も知らない人間が、国民の苦しみが分かるはずがないし、本当の意味で国民のために働こうという意識なぞ生まれて来ないはずだ、大体において自分は国民のひとりでありながらレベルの低い国民より自分の方が上であり偉いと思っている、思い上がりも甚だしい、どこが、偉いというのだ、このような人間が政治家に、役人に多く住みついて居るようでは日本の政治が善く変わることは望めない、国民よ、政治をもっと監視せよ!政治家をしっかりと監視せよ!と云いたい。政治の基本に置かなければならないもの、それは慈悲である。

09年4月25日

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近況に思う

 世界には、様々な国があり、人種、思想、宗教も異なる人々が我が身の貪欲なまでの利益を求めひしめき合っている。今、世界をゆるがす、百年に一度と言われる世界的経済不況も実はそこに問題があったと云わざるを得ません。すべからく、人間のエゴイズムに端を発したとすれば、やりきれない気持ちで一杯になります。
 先週を含め、この二週間ほどは北朝鮮の人工衛星打ち上げ(弾道ミサイル)問題で揺れにゆれた二週間であった、核を持つことによって、その均衡のうえに平和を求めようとした20世紀の愚かな理念は、21世紀の今日も地球の一角で燻っている様子を見るにつけ、人類の愚かさと、人類を指導しきる高度な哲学の必要性をひしひしと身にしみて感ずる昨今です。
 創価学会の池田名誉会長とイギリスの大歴史家トインビー博士との対談集「21世紀への対話」がこのほど、28言語目となるオランダ語で発刊された、とのこと。同書は、世界の多くの指導者が“座右の書”としていることはよく知られております。この書は「人類の教科書」として、インドのナラヤン元大統領、中国の温家宝総理(おんかほう)、米国のキッシンジャー博士ら各国の指導者が手に取り、自身のスピーチに引用したり、思索を深めてきた。
対談の中で両者は、核兵器や環境破壊など、人類を滅ぼしかねない諸悪の原因を探求、博士は、人間の貪欲性と侵略性を挙げ、その根源に「自己中心性」を指摘した。確かに昨今の悲惨な事件の加害者が「誰でもよかった」と語るのを聞くとき、他者への視線を失った「自己中心性」の闇を見る思いだ。この悪の根を断ち切る道を、博士は「人間一人ひとりの心の中の革命的な変革」に求め、それは困難な道ゆえに宗教の啓発が必要であると結論付け、学会の「人間革命運動」に期待している。
 現代は「報恩」ときくと、古めかしい、過去の遺物のように感ずる人が多くいるかもしれないが、人は「恩に報いること」が人間の根本であることは間違いないことであります。国の恩、社会の恩、父母の恩、兄弟の恩、師匠の恩、数え上げれば沢山存在するが、人生が多くの人に支えられている以上「報恩」は人間としての当然の行いである。「忘恩」を排斥し恩を感じる力を養う、ここに「自己中心性」を克服し、人間と社会の悲劇をとどめる力が生まれ、対話が生まれ、核兵器のない、国と社会の平和の誕生があることを確信したい。

09年4月12日

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