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2009年1月

時代(その2)

 今から30年程も前の話になるだろうか、私は師より次のようなお話を聞いたことがあります、丁度、国の政策で国民の所得倍増計画のなかで、景気のよいときであった。
今のように失業者で溢れることもなかった、物質文明の絶頂期であったかもしれない、大方の人は幸福とは、住むには家があり暮らすにはお金があり、欲しい物が手に入れば人々は幸福であると普通であれば誰もが思った時代である。
 そんな時、師は今は物質文明も終焉にきている、この先は、いよいよ精神文明の開花する時代に入ってきている、と聞かされたものだ。ところがどうであろう、今は当にその時代に入っている、人間の精神の衰弱は様々な事件を生み出し、企業は唯、利益の追及のみに奔走し売れればよいとの商業主義は低劣な映像文化、愚劣な出版物を社会に垂れ流している。良書に至っては愛読する人は少なく、人々はスキャンダラスなものを好み、自分より優れた人を妬み陥れようと画策する、他人への干渉を拒むがゆえに人間同士の対話が無い、それが正しいことなのか、間違っていることか人々は判断の基準をもたない、ここまで、人間の精神が衰弱した時代も無いであろう、仏法で云う当に末法である。更に、人間精神の荒廃は人間同士の衝突へと突き進み地球上には絶え間ない戦争が今でも続いている、愚かな指導者に率いられた国民ほど哀れなものは無い、戦争が起こると決まって何の罪も無い女性や子供が犠牲になってしまう。
今こそ、人々は眼を凝らして文明を見つめなおさなければならない時がきていることを知るべきである、そうして、だれびとたりとも自らを人間革命をする以外に平和な地球に変えることが出来ないことを知るべきである。
師云く「一人の人間革命はやがて一国の宿命をも転換するであろう」と......

09年1月17日

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時代

 決して、慢心から云うのではなく宗教上から観察して、少々、時代を分析してみたいと思います、仏教と言えば、原点は釈迦(釈尊)が説いた教えということは誰でもが知るところです。
その、釈尊が一番民衆に教えたかったところの教えが法華経です、この法華経は1品から28品までで成り立っており、開経(かいきょう)と結経(けっきょう)を加えると30品(ぽん)から成り立っております。
その中に、「法華経方便品第2」というのがあります、その経文のなかに「五濁悪世」(ごじょくあくせ)と説いております、五濁ですから五つつあります、所謂、時代の濁り、人間の濁りを五つに分けて説いているのです。
1.劫濁(こうじょく)、劫濁とは時代そのものの濁りを云います。
2.衆生濁(しゅじょうじょく)、衆生濁とは民衆社会の濁りを云います。
3.煩悩濁(ぼんのうじょく)、貧瞋癡慢(とん、じん、ち、まん)等の煩悩からくる濁りを云いま す、貧はむさぼり、欲深く物を欲しがること、瞋は怒りをいい、癡はおろかなことをいい、慢は慢心をいいます。
4.見濁(けんじょく)、見濁とは思想、哲学の濁りを云います。
5.命濁(みょうじょく)、命濁とは人間生命それ自体の濁りを云います。
以上のようなことが「法華経方便品第2」の経文にとかれておりますが、総じて主体は人間そのものになるのですが、世の中が盛んに悪い状態のことを指しており、それを末法(まっぽう)といいます。現代の時代をつぶさに見ていくと、いかに、人間の精神が荒廃しているか、人間の精神の荒廃がまた、更に荒廃した時代を築いていくことになります。それが、益々エスカレートしているのが現在の世相であり、時代背景となります。では、どうししてこのような時代になってしまったのでしょうか、答えは簡単です、それは師の教えに背いて(即ち仏の教えに背いて)人間のエゴイズムを増長させていったからにほかなりません。それらは、魔の力となって人間精神を内側より破壊していくことになります。人間がこの魔力に打勝つためには、仏の生命による以外にありません。魔の働きも仏の生命には勝つことが出来ないのであります。今の現状では学者や、文化人が如何に高邁な言葉を述べていたとしても、一向に出口が見えないのが現状ではないでしょうか。本当の人間のための宗教が復興しなけれ問題の解決にはならないことを痛感します。

09年1月14日

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